Top > 上町筋

【上町筋】幸せを呼ぶ!水都OSAKAフォトブログ by 砧 幸四郎

焼とり吉鳥・上本町店

大阪市中央区安堂寺町1-2-12

水都OSAKAフォトブログ

自宅の大掃除を終え、晩御飯を食べに出かけたら、開いてるお店がありません。年末30日の、もう23時ですし・・・。

でも、こちらの焼き鳥屋さんは、いつもどおりに朝の5時までやってるみたいです。

水都OSAKAフォトブログ

とりあえず、焼き鳥屋さんなので、
焼き鳥の盛り合わせに、

水都OSAKAフォトブログ

手羽先ぎょうざ、なんかを注文。

他に、大根サラダ、かきフライ。

もちろん、ビールも。

水都OSAKAフォトブログ

シメに、地鶏スタミナ丼を食べて、お腹いっぱいになって、おうちに帰りました。そして、先ほど目が覚めたら、大晦日の午後2時。「あれっ?、もうそんな時間ですか?」って感じです。これからお買い物に行かなくちゃ・・・。人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ    砧 幸四郎 with OLYMPUS PEN E-P1

2009年12月31日 14:26 | コメント(0) | トラックバック(0)


難波宮公園の青空

寒いですね。

谷町筋

今日は、おうちでお掃除しようと心に決めていたのですが、あまりに天気が良いので、我慢できずにお散歩に出かけました。

自宅から少し歩きまして、谷町筋にかかる歩道橋の上へ。

谷町筋

歩道橋から南側を眺めました。もう少し先が、谷町六丁目の交差点です。

難波宮公園

谷町筋から東へ歩くと、上町筋に。その上街筋を渡ると、難波宮公園。昔、難波宮があったところです。

難波宮公園

青空に、白い雲が流れていきます。2日前の日曜日も、これくらいの良い天気だったら良かったのに。そしたら、四天王寺ワッソを見に来たのになあ・・・。人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年11月 3日 17:19 | この記事へのツッコミ(110) | トラックバック(0)


上本町から近鉄電車に乗って・・・。

実家に帰りました。

近鉄電車

上本町から近鉄奈良線に乗って、実家の京都府井手町に帰りました。

ゴールデンウィーク以来です。大阪から1時間ちょっとで行けるのに。

そう言えば、井手町で巨大そうめん流しにチャレンジして失敗したとか。
 人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年9月26日 10:23 | この記事へのツッコミ(2) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その6)

昭和の香り

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館の7階に展示されている足踏みミシン。

昭和初期に使用されていたものだそうです。

大阪歴史博物館

こちらは、テレビ。

そう言えば、「チャンネルを回す」と言わなくなって、大分経ちますね。

そうそう、昔はテレビの上に布を敷いたりしてました。

大阪歴史博物館

こちらは、「自動アイロン」。

あまり、「自動」って感じではないですが。

大阪歴史博物館

最後は、懐かしの黒電話。

今なら、逆にお洒落かも。結構、洗練されたフォルムです。

まさか、博物館に展示されるとは、電話器も思っていなかったでしょうね。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年5月30日 18:35 | この記事へのツッコミ(83) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その5)

明治時代の引札 

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館の7階は、近代/現代のフロアです。

こちらの展示物も、なかなか面白いです。

大阪歴史博物館

特に、私の目を引いたのは、
「引札」と呼ばれる、明治時代のチラシです。

こちらは、お茶と煙草のお店の引札。

大阪歴史博物館

こちらは、「酒屋さん」の引札。

洋酒も売ってたんですね。

大阪歴史博物館

そして、こちらは、醤油屋の引札。

明治時代にも、「大安売」ってあったんですね。

大阪歴史博物館

こちらは、「煙草製造所」の引札。

煙草の煙と、蒸気機関車の煙を かけているところが、しゃれてます。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年5月15日 23:00 | この記事へのツッコミ(97) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その4)

8階/7階は、近代/現代の大阪

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館の続きです。

大阪歴史博物館の8階には、
真っ白な自動車などのオブジェが展示されています。

大阪歴史博物館

この時代、自動車に乗る人は、限られた裕福な人達だったのでしょうか。

大阪歴史博物館

ブーブー!

クラクションを鳴らす音が聞こえてきそうです、

大阪歴史博物館

その自動車の後ろを走る荷台付きのバイク。

きっと、自動車に乗っている人ほどお金持ちではないのでしょうが、イキイキとして、頑張ってるって感じです。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年5月10日 23:17 | この記事へのツッコミ(1) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その3)

9階は、大坂本願寺の時代/天下の台所の時代

e002.jpg

大阪歴史博物館の9階は、中世・近世の大阪。大阪には、多くの橋がありますが、その橋の歴史を学ぶことができるはずです・・・。私は、スルーしたので、よくわかりませんが。 (スイマセン)

e002.jpg

ミニュチュアの昔の町並みを、こうして写真で見ると、なかなか面白いですね。

e002.jpg

こちらは、御座船地車(ござぶねだんじり)という、船の形をした山車(だし)です。

江戸時代のものだそうです。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

2009年4月29日 14:44 | この記事へのツッコミ(1) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その2)

10階は、古代・難波宮の時代。

3月末に行った大阪歴史博物館の続きです・・・。

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館の10階は、常設展示。難波宮のセットに目を奪われます。

大阪歴史博物館

このセット脇にある窓から外を眺めると、本物の 「 難波宮跡 」 が眼下に広がります。

大阪歴史博物館

展示物もいろいろとあります。特に私の目に留まったのは、この船形の埴輪(はにわ)。
これを、欲しいなぁって思うのは、私だけでしょうか・・・。 人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ
2009年4月11日 01:18 | コメント(0) | トラックバック(0)


大阪歴史博物館(その1)

大阪城の南西にある大阪歴史博物館

中央大通り

地下鉄・谷町四丁目駅から、中央大通り沿いに、徒歩で5分くらいでしょうか。

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館へやってきました。

ちなみに、歴史博物館の左隣は、NHK大阪放送局です。

大阪歴史博物館

建物の入り口手前で、たまたま上を見上げたら、なんとなく面白かったので、写真を撮ってみました。

大阪歴史博物館

中に入ると、ガラスのドームという感じ。
ガラスの丸みと枠の曲線が、印象的です。

大阪歴史博物館

さて、これから大阪歴史博物館の中へ。
ワクワク、ドキドキです。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ

⇒続きは、こちら。
2009年3月29日 23:11 | この記事へのツッコミ(79) | トラックバック(0)


難波宮跡。

ここが昔々の日本の中心だったのか・・・。

難波宮跡

ここは、難波宮跡にある公園です。大阪城の南側、中央大通りと上町筋が交差するあたりです。

難波宮跡

公園南側の入り口付近には、こう書かれています。

『 七世紀中頃 飛鳥から難波に遷都され 首都あるいは副都であった宮殿遺跡で 昭和二十九年以来 発掘調査で前後二時期の遺跡の全容が明らかにされつつある 』

難波宮跡

それにしても、な~んにもありません。気持ち良いくらいに。

難波宮跡

こちらは、「 大極殿 」 跡 のようです。

難波宮跡

それから、こちらが 「 大極殿後殿 」 跡。

「ふーん」って感じです。

難波宮跡

ところで、難波宮って、大化の改新で遷都した場所だってご存知ですか?

大化の改新が645年だと知っていても、難波宮に遷都したことを知らない人って、案外多いのではないでしょうか。 人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ
難波宮跡(なにわのみやあと)
大化改新(645年)にともなう難波遷都以来8世紀まで約150年間、難波宮は日本の首都として、また副都として、日本の古代史上に大きな役割を果たした。昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期二時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。
現在内裏・朝堂院部分90,677㎡が、国の史跡に指定されている。
<大阪市教育委員会>

遺跡の概要
発掘調査により、難波宮跡は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物跡があることが明らかにされてきた。
前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱(ほったてばしら)で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊さき宮がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥元年(686年)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮(ふじわらのみや)に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。
後期難波宮は、奈良時代の神亀3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿(だいごくでん)や朝堂院(ちょうどういん)の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文、唐草文、重圏文軒瓦などの瓦が葺かれていた。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城宮(へいじょうきゅう)へと遷された。
前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる。


<前期難波宮>
645 大化元 孝徳 (大化改新)都を難波に移す
652 白雉3 難波長柄豊さき宮完成
667 天智6 天智 大津宮遷都
672 天武元 天武 壬申の乱
679 天武8 難波に羅城を築く
683 天武12 難波に都せんと詔す
686 朱鳥元 大蔵省より出火、宮室全焼
694 持統8 持統 藤原京遷都

<後期難波宮>
710 和銅3 元明 平城京遷都
726 神亀3 聖武 藤原宇合を難波宮造営の責任者とす
734 天平6 難波京の宅地を班給す
744 天平16 難波宮を皇都と定む
745 天平17 平城京遷都
756 天平勝宝8 孝謙 天皇、難波宮の東南新宮に御す
784 延暦3 恒武 長岡京遷都
793 延暦12 この頃難波宮廃止か
2009年3月17日 23:44 | この記事へのツッコミ(76) | トラックバック(0)


人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ
応援お願いします!

くまたん
砧 幸四郎
プロフィール

マイクロアドBTパートナーでおこづかいゲット!

マイクロアドBTパートナーでおこづかいゲット!
[ LINK ]
マイクロアドで、お小遣いは
いくら稼げるのだろうか?


2008 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 |
| 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 |

OSAKA
    新大阪   天六    
福島 西梅田 梅田 東梅田 南森町 大川沿い 京橋
USJ 肥後橋 淀屋橋~なにわ橋 天神橋~天満橋 大阪城
大阪港   本町
南船場
北浜
堺筋
松屋町 谷町 上町
南港   心斎橋 日本橋~上本町
大正 堀江 道頓堀   四天王寺  
  湊町 なんば 天王寺・あべの